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プカプカ島滞在日記最終回:酸いも甘いもタロイモ。

前回までのあらすじ
風邪から復帰し発掘作業も再開。そして各調査が紆余曲折ありながらも終了。2週間のプカプカ島生活も終わりを迎え、ラロトンガ島に帰還。そして1か月ぶりの母国、日本へ降り立つ…。


KA KITE! PUKAPUKA ISLANDS!~さらばプカプカ島~

気づけば手こずっていた素手スタイル食事もなんだか上品に、煮沸して飲んでいた雨水も気づけばそのまま飲み、島民にカツンとナタで飲み口を開けてもらっていたココナッツも自分で開けて飲むようになっていました。そう、プカプカ島にきて2週間が経過していたのです。

最終日前日は、発掘トレンチの埋め戻し作業。
そして埋め戻した場所にはヤシの木の若芽を植えました。

遂にプカプカ島最終日。朝食後にプレ(祈りの時間)を行い、荷物をトラクターに載せて待機。その間に仲良くしてもらった同世代のメンズたちと色々な会話をしました。なんとなしに「この島に今後もずっといるの?」と聞くと、ラロトンガやニュージーランドに出稼ぎに出るという回答が多く見受けられました。現金収入が限られる絶海の孤島では若者の流出が近年進み、人口減少がすすんでいます。そう、日本の農村地域に見られる様な現象が南太平洋の島嶼地域でも起きているのです。果たしてこれからこの島はどうなっていくのかという先行きの見えない漠然とした不安をかれらは抱いていました。
自然環境的側面のみならず、社会経済的側面においても生存戦略を練らねばならない脆弱な島嶼地域、リモートオセアニア。「島国」と呼ばれる日本とは似て非なる深刻な状況に瀕していました。

ただもっとミクロな視点を島に向けた時、我々と同様スマホを持ち、原付に乗る姿は現代の日本人と大して変わりません。そしてなにより島民の皆さんが明るい!すれ違う時は必ず「ケオラーナ!」と挨拶。人口500人以下のこの島ではきっとほぼ全員顔見知りと思われ、それが時には軋轢を生むかもしれませんが、日本では見る事の出来ない共同体としての団結力を見せつけられます。勿論たった2週間の滞在でしたので、限られた側面しか見られていないのは十分承知していますが、島民の結束力や共同体としての意識の高さは中々現代日本では見る事が出来ない気もします。

拙い表現ですが、本当にいろいろなことを学ばせて頂きました。
島のみんな!アタヴァイ・ヴォロ!カキテ!

主島ワレから滑走路のあるモツコタワまではアルミのボートで移動。我々のほかに20人くらい島のみんなも同船!お別れを言いに来てくれたのかな?!因みにプカプカ島の南65kmに位置するナサウ島に行く際はこの船を使うそうです。所要時間を聞くと人によってばらばら。2時間と言う人もいれば5時間と言う人も。搭乗人数で変わるのでしょうが、外洋をこの船で長時間はきつそう…
島の空港(?)皆来てくれました。
いろんな思い出がよみがえってきて少しうるっときました。ほんとですよ。
ラロトンガへの4時間のフライト中
まさかのおなかを冷やし激痛!!!!
経由地のアイトゥタキ島までまだですか!!
小型機ゆえ操縦席のレーダー図が見えるのですが、見方が全然わかりません!
約2時間程腹痛の波を耐えながら無事アイトゥタキ島のトイレへピットイン。
地味に最大級のピンチでした。

久々のフォーク🥄

約4時間のフライトを終え、ラロトンガに午後3時ころに到着。気温20度前後で風が強い曇り空、寒い!なによりあのへばりつくような湿った海風がありません…空気がカラッとしています。同じ島なのに環礁と火山島は全然違います…植生が豊か…ヤシの木はプカプカの方が高い気がする…ラロトンガの鶏と豚の方が大きい…プカプカ渡航前のラロトンガ滞在中と比較し(プカプカ島滞在日記②参照。テンション高め。)プカプカ島を経験した後だと、同じラロトンガでも見える世界が変わりました。

なーんてちょっと成長してクールな雰囲気出ていますが、久々の外食にウッキウキです!アタシに都会のイカマタ食べさせて~!!!!

イカマタ!!!!ちゃーんと写真撮ってきましたよ!!!!(プカ日記②参照)
プカ日記を読んでくれている方はプカプカ島でのイカマタの写真覚えていますか?
(プカ日記④参照)
味付けは大して変わりません。ただ…食べやすい…😿細かくサイコロ状に切られた魚にくわえてセロリ、トマト、キュウリが入っております…めっちゃ都会な味…最高です…
僕は将来西荻にイカマタ屋を開く夢が出来ました…

そしてサイドには新鮮なサラダが…!プカプカ島では土壌が豊かではありませんので野菜が育ちません。ゆえに2週間の間野菜は食卓に並ぶことはなく本当に恋しかったです。
そしてなによりフォークとスプーンでご飯が食べられる…!
パッションフルーツ!人生で初めて食べました。
種と風邪治りかけの時に出る鼻水みたいな部分が可食部です。
パッションフルーツなんていうハイテンションネームがお似合いのパンチの効いた酸味と
独特の食感が癖になります。個人的にめっちゃ好きです。

2泊した滞在先はとても綺麗でした。シャワーからお湯はでて洗濯機もあります(ただ何故かキッチン周りにめっちゃ蟻🐜がいました😿)。もう蚊帳を張って寝る必要もバケツに雨水を溜める必要もありません。滞在期間中は関係省庁に調査報告を行ったり、ラロトンガ島の博物館に行ったり、お土産品を買ったり…。

「ピザとか食べちゃう??」

ちっちゃなレンタカーに箱詰めになりながら第一線で活躍する先生たちとこんな他愛もない会話をすることはきっとこれからの人生でもう経験することは無いでしょう。走り続ける海岸線を横目に終わりを迎える調査へのうら寂しさは私の心にも乾いた冷たい風を吹かせました。


宿の近くの超かわいい謎の重機。もしご存じの方、コメント欄で教えてください。

行同様、ラロトンガからNZ、日本という経路で帰国します。家族へのお土産も買ったし、皆へのお土産も買った!さらばラロトンガ!勇み足で保安検査場を通過と思いきや…

「リュックの中に入っている缶はなに?」

保安検査場でストップがかかりました。後ろには多くの搭乗者が並んでいます。英語苦手なんだよな…あんま話したくないけど早くしないと後ろの皆さんに迷惑かかるし…

「こ、コンビーフ…」

保安検査官の顔が曇ります。

コンビーフフリークの母の影響で私は幼い頃からコンビーフが大の好物でした。ニュージーランドでは様々な種類のコンビーフが生産されており、加工食品で保存も効くことから島嶼地域に多く輸出されています。その為、プカプカでもコンビーフが食卓に並んでいましたし、ラロトンガのスーパーでは多くのコンビーフ製品が棚にずらっと並んでいました。

そこで私は家族や友達、バイト先へのお土産として各種コンビーフをラロトンガのスーパーで合計2kgほど購入し手荷物のリュックに詰めていたのです。(今思うと正気の沙汰ではない。)

「肉製品は持ち込めません。ここで廃棄するか、預け荷物の中に入れるか選んでください。」

何ですって…調べときゃよかった…預け荷物はもう試料やらでパンパン。
第一外見たら自分たちが乗る飛行機に預け荷物乗り始めてますけど。

実質私が選べる選択肢は1つしかありませんでした。

リュックから次々出てくるコンビーフに保安検査官も思わずワオ。

カ〇ディとか成〇石井とかで売ってるから別にいいけどね!!!!
と思っていましたが、帰国してから調べたところまだ日本に入ってませんでした。
目撃情報はKeMCoまで。

皆へのお土産が全て没収されていきます。恥ずかしさと悔しさでいっぱいです。自分の前に並んでいた女性が日焼け止めを没収された際は保安検査官はゴミ箱にそれを投げ込んでましたが、コンビーフはトレーの上に載せられて机の下へ…

きっとね…食品は処分方法が違うんだよね…みんなの夕食とかにはね…

搭乗ゲートから飛行機までは大幅に軽くなったリュックを背負いどしゃぶり☔の中ダッシュ。

帰るまでが遠足です。いくつになっても変わりません。

午前3時頃にニュージーランドにつき、空港の国際線乗り換えターミナルで約7時間待機。ここはほぼ記憶がありません。成田-釧路間が人生で最長フライトだったものですから…。そしてラロトンガとニュージーランドの間には日時変更線が走っています。なのでここで日時感覚がガツンと狂うのです。

もうヘロヘロの状態で成田行きの飛行機へ…。寝てしまえば9時間なんてへっちゃらだい…。と思っていましたが、席の近くでギャン泣きキッズ2人が交代交代で大暴れ。睡眠係と号泣係でシフト組んでます?

久々の機内食。やはり行きははしゃいでいたのでしょうね。
機内食全て詳細に写真を撮っていましたが、帰りはこの1枚のみ。
なんならミートボール一個食べてるし。

サムライの国ではハローは「こんにちわ」って言うんだっけ?


久しぶりのニッポンです。22泊26日、先生たちと1日中一緒に行動。家族でもそんな生活はしたことはありません。最後は握手でお別れしました。またお会いすることになることは分かっていますが、なんだかジンと来ますよね🥲預け荷物を回収し、中身を確認。無事採集サンプルは没収されていませんでした。ヨカッター!任務達成です🏋🏽‍♀️

日本、懐かし~!たった1か月だけだったのにだーいぶ久しぶりの感覚です。

家族が成田まで迎えに来てくれていました。黒く焼け、ヒゲも生え、なんだか痩せて帰ってきた息子をみて大爆笑。寿司?やっぱ寿司が食べたい感じ?!第一声は日本に帰ってきて何が食べたいかでした。

「…なんでもいいので、静かに箸でごはんが食べたいです…」

謎の回答に家族は🤨🤨
とはいえやはり日本っぽいものを頂きたかったので、成田空港にあったお茶漬け店(?)で鯵の冷や汁を頂きました。もう食事中にダンスも歌もありません。箸で頂くご飯が帰国を知らせるファンファーレでありました📯

愛犬ぼたんちゃん(30kg)。トリミングサロンでの1枚。
帰宅するとすぐさま駆け寄ってきましたが、めちゃくちゃ匂いをかがれました。
本人確認が完了してから飛びついてきました。

島生活で得た能力

私が今この記事を書いているのは、日本から帰国して1か月ほど経った頃です(時間が経つのが早すぎる!)。色々書きながら早くも懐かしさを感じつつ、ケムコにも復帰し図書館に通う毎日。日常が戻ってきました。しかし!生活スタイルが戻ってきた中で、プカプカ生活を経て個人的に変わった点を紹介します!

その① 暑さに強くなった。
プカプカ島では昼は30度前後で夜は25度くらいの気温でしたが、海風の湿度が非常に高く、常にジトッと汗をかいていました。又、赤道に非常に近い為、日差しも強烈。夜は、部屋に上手く風が入らず枕元にUSB充電で駆動するハンディタイプの扇風機を枕元に置いて寝ていました。最初の3日間程は暑さでよく寝られませんでした。

そんな中で生活していたので、なんだか東京は確かに気温は高いかもしれませんが、そんなにジメジメしていないし日差しもないので…暑くないかも…ってな感覚です。
それに加えて汗をかくことへの抵抗感が低くなっているのも大きいと思います。向こうでは常にじんわり汗をかいていたので。

その② 食事のスピードが遅くなり、食事の量が減った。
元々私はやや大食い&早食いの人でした。なので満腹中枢も刺激されづらく、「食べ過ぎ」現象が起きておりました。

しかし!この1か月間はまず大前提として先生たちと一緒。よく噛み、一口を小さくして食べるスピードを落としておりました。加えて、プカプカ島では素手で食事!これが中々食べづらいのです!魚や米、煮込み系のご飯は一度に少ししか持てず、一生懸命なんども手を口に運びご飯を食べていました。そしてなにより、基本夕飯の際は歌アリでしたので、シンギング&ダンシングタイムが途中何度も挟まります👯‍♂️

そんなことをしているうちに満腹中枢は刺激され、不思議とおなか一杯です。日本では食事中にダンスは出来ませんし、素手での食事も憚られますが、その食事ペースは保たれていますので食事量が減りました。

その③ 雨に少し興奮する
プカプカ島は乾季でしたので、あまり雨は降らないのですがスコールが2日に一回ほどガツンと降ります(プカ日記④参照)。そしてその雨は洗濯に使い、シャワーに使い、飲み水に使い、地面にしみ込んだ雨水はヤシの実の中にココナッツジュースに変化。島民目線で言えば、タロイモの栽培上雨は必要不可欠。その生活に2週間とはいえ浸っていましたので、東京に帰ってきても雨が降ると

「洗濯…できるな…」

と謎のポジティブ思考が芽生えます。

酸いも甘いもタロイモ

何と無しに始めたプカ日記が気づいたら5章編成の大作になっていました。プカ日記は私の中ではフィールドワークを振り返れる機会でしたので、非常に貴重でした。「ケムコ!不思議発見!プカプカ島滞在日記」はこれにて完結致です!🥲読んでくださってありがとうございました!

今後の予定としては持ち帰ってきた資料の分析や発掘報告書の作成、なにより修士論文🫠が待ち受けています。概観するとまだフィールドワークが終えた段階、つまりプカプカ島調査の前半戦が終わった段階と言えます。9月はハーフタイムとしつつ月末からウォーミングアップを始めて、10月からフルパワーで後半戦に望まねばなりません。

しんどくなったら島のみんなの歌を思い出し、タロイモとココナッツを思い浮かべて毎日奮闘していこうと思います。



今後も各KeMCoメンバーによるふしぎ発見をお楽しみください!

                               終


おまけ:不思議なサムネイル画像秘話

プカプカ調査の1週間前にnoteでの投稿の話が上がり早速タイトルと画像を製作することに。
おしゃれなケムコnoteサムネイル群の中にひときわ目立つこの禍々しい背景。
これでもかという明朝スタイルを前面に出した字体。
どちらも私のセンスの無さから生まれた奇跡の産物なのですが、
まさかのそのままGOサイン。
因みにタイトル第二候補は「水曜スペシャル!ケムコ探検シリーズ」でした。


おまけ② コンビーフの代打
コンビーフ没収=全てのお土産没収
でしたので、成田空港で千葉銘菓の豆しぼりを購入。
本当にこれ美味しいんですよね。僕は大好きです。




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