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KeMCo「臥遊展」の楽しみ方【番外編】KeMCoで描いて&書いてみた✍️⑵後編

KeMCoでは、10月2日から12月1日まで「常盤山文庫×慶應義塾 臥遊―時空をかける禅のまなざし」展、通称「臥遊展」を開催していました。
展覧会の振り返りをかねて、noteでは「楽しみ方【番外編】」をご紹介✨

前編では、絵画作品を描いてみる!という試みを二つと、筆者が臨書してみた墨蹟4作品のうちの一つ、《環渓惟一筆偈》を取り上げました✍️⏬

1番右・臨《環渓惟一筆偈》はnote前編でご紹介しました✨

後編では、臨書してみた墨蹟3/4作品をご紹介していきます‼️

※「臨書(りんしょ)」とは、お手本を見て書くこと。今回は、展示作品をお手本にしてそっくりそのまま書くということを目指しました。

Room2入ってすぐのところに展示中の墨蹟4作品の臨書チャレンジです!

試みに、全て同じ筆と墨、同じサイズの紙(半切)を用いて、二行ずつ書き出してみています。書いてみてわかったそれぞれの違いや見どころを、素人目線ながら皆さまにも共有できたら……と思います😊✨お手柔らかにご覧ください🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️


その二、書いてみる(後編)

No.2 清拙正澄筆上堂語

《清拙正澄筆上堂語》

一眼見て、真っ直ぐで力強く、いかつく見えたこの書。しかし、書いてみると案外柔らかさを残しているという感触を得ました。

いかつい書、といえば、中国・龍門石窟に残る『牛橛造像記』(北魏・太和19(495)年)が有名です。全ての点画が角張っていて、線は真っ直ぐ右斜め上に進む、いかにも硬い岩を鋭く彫り出したというような力強くゴツゴツしい文字が特徴。北魏時代の造像記(仏像を造った由縁を記した書)を代表するもので、楷書の様々な古典の中でも一際目立って勇猛です。

筆者の第一印象としては、こちらの清拙正澄の字もこの造像記のように厳しく書かなくてはいけないかな、と思いました。

マジックペンのように筆を固く持ち、鋭くスピーディーな線で攻めようと思った……のですが。書いてみると、案外遊びがあるのです。余裕、ゆとり、とでも言いましょうか。

⏩清拙正澄の字を、「へん」(左側)と「つくり」(右側)で分けて見てみます。

例えばこの部分。「佛紀綱」と書かれています

へん(左側)はまず、ごく強めに筆が置かれています。穂先は11時の方向🕚を向いています。習字で習う斜め45°🕙よりも気持ち立ててみることを意識して入筆しました🤔
ちなみにこの入筆方法は「山」「王」「走」といった画数の少ない漢字でも共通する模様。

しかし、ここで清拙正澄の書風を捉える上で最重要とも言えるのが、文字全体における「へん」のバランスです。

通常のお習字的書体と、清拙正澄さんの墨蹟からの臨書を並べてみました⏬

左側はお習字的、スタンダードな書風で、
右側は墨蹟から臨書して、書いてみました

筆者の力不足で特徴を捉えきれず誇張できずですので伝わりにくいかもしれません…😓
が!いかがでしょう。「へん」と「つくり」を見比べると、圧倒的に「へん」が太く、最後まで思い切って打ち込まれているのです。

例えば人偏。お習字だと入筆をポンと置いた後は少し力を抜いて払いますが、ここではあくまで払い切るまで太さを残す!!これが字の強さを作るためのミソになります。

さらに言えば、「へん」の中でも一画目はまさに「極太」で、二画目の縦画は「中」くらいの太さで書かれており、圧倒的な強弱がつけられています⚡️

二画目はしかし、頼りないのではなくしっかりと気を張った縦角で支えていく、というところもポイント💡つまりここではずっと一本調子にせず緩急をつけることで、字の力強さが強調されていたのです💪✨

このあたりはかなりクセ強な部分。清拙正澄らしさを出すためのカナメのようです👀
なんともさっぱり堂々とした、しかしメリハリをわきまえた「クセ」でした👏

再掲🙌🏻

さて、「つくり」(右側)に目をうつすと、「佛」でも「綱」でも画数が増えていますね。
しかしながら、ここはお習字書体よりももっと緩やかに、力を抜いて書かれているようです。ここが筆者一番の驚きポイントでした😯
画数が増えるということは、横画同士を並行に書いたり太さを均一にしたり、トメを揃えていくことでかなりカッチリした印象の字が書きやすい、というのがお習字的通例なのですが……

清拙正澄さんはむしろ、画数の少ない「へん」より「つくり」で脱力しています。特に横画は柔らかくしなっていますし、線の太さも、一画の中に変化があり均一ではありません。
ただし🚨全部が脱力ではないというのもかなり重要。縦画に関しては、入り口から出口までと言いますか、入筆から最後に筆が紙から離れるところまで、「へん」ほどではないまでもぐっと肩の力が入ります。
「佛」の縦画と横画の違いがまさに好例。やさしい横画の中に厳しい縦画をビシッと決めていくことで、字に締まりが出ています。

そして!「つくり」サイドにはもう一つ肝要なパーツがあります。

↑同様に「紀」「孔」をお習字(左側)と墨蹟臨書(右側)で書き並べてみました

それは……ハネです。もうお気づきでしょうか。「孔」のハネ!筆を曲線にしならせるのが習字のセオリーですが、ここではそうはしません。九十度に入って、九十度に跳ねる!!!

「つくり」における縦画、特にハネの様子はお坊さんの割り切ったさっぱりした真っ直ぐさと、やわらかさの両面をまとめ上げるかのごとくです。然るべきところでは中途半端にせず、しっかりとハネていく!ここは強気のハネがあってこそカッコ良いのです🔥

筆者は厳しさに特化した大クセ有の書なのでは……書きにくいのでは……と思っていただけに、「つくり」の横画に残る遊びと、「へん」の入り方やハネにある思い切り、それらをまとめ上げる、緩急のセオリーを理解した真摯な書風にグッときました😳🤍

最後に、画数の少ない字も見てみましょう🗻

↑と同じようにして「山」「王」「上」を書き比べ
画数の少ない漢字比較です

ここでもお習字書体と比べてみます。
全体的に、いつも筆の頭が11時🕚より上↑を向いていて、線はいつも尖り気味、文字の形もお習字より横幅がスリムに収まっていますね!

「王」👑の三画目は少し崩していて、やっぱり厳しさと優しさの緩急を忘れていない感じがします。

この、画数の少ない字もサボらずしっかりカッコ良く決めて墨蹟全体を支えている感じ、筆者はとても気に入っております……💌

この「へん」「つくり」の特徴を捉えると、なんとなく全体的にまとまりが出てかなり楽しく臨書できた墨蹟でした😊最終的に半切にまとめたものがこちら⏬

冒頭部分の臨書
「前仏性命、後仏紀綱。須弥山王、走 入阿脩羅王鼻孔、直透上」

今回臨書したパートは、墨蹟冒頭部分です。
隠れお気に入りは「阿修羅王鼻孔」の部分。
意味が気になった方はこちらをどうぞ💁🏻‍♀️

前編でご紹介した《環渓惟一筆偈》から画数の少ない字を抜書きして左右比べてみたものがこちら⏬書の性格の違いが見えてくるのではないでしょうか。

右側 《環渓惟一筆偈》より「在」「不」「山」
左側 《清拙正澄筆上堂語》より「生」「大」「山」

No.3 浙翁如琰筆偈

《浙翁如琰筆偈》

さて、書道には、古くは篆書、隷書、草書、行書、そして楷書、日本では仮名……と、展開した様々な書体がありますが、これまでご紹介したNo.1は行書、No.2は楷書の作品でした。日常的に楷書に親しんでいる現代人にも何という漢字が書いてあるか「読める」書だったと思います。

その点、No.3はかなり字形が崩れていて所々ぱっと見読めない字も散見されます。行書と草書の混ざった行草、と言えそうです。

例えばこの冒頭部分。

上から「狂夫走索相与」と書かれています

「狂夫」「索」「与」は読めても、「走」「相」が初見で問題なく読めた!という方はなかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。読める前者は行書体、読めない後者は草書体で書かれているのです。「行書と草書の混ざった行草」、であることが冒頭部分からも見えてきます。
ちなみに、草書は行書をさらに崩したもの、と思われがちですが、順番としては逆。公文書に使った篆書・隷書をスピーディーに書くために生まれた草書の方が先、行書はその後になって草書の形を整えたものと考えられています💨そして楷書はそれらよりも後に完成された書体💡現代の感覚と実際の展開は異なるようで興味深いところです🤔

でもでも、この冒頭部分⏫で書体より気になるのは、「狂」という字ではないでしょうか。お偉いお坊さんの書いたものに出てくる、「狂」とは……??

自らを「狂夫」と呼び、本来の禅僧のあり方からはずれてしまい、風流な隠者のように暮らしている様子を描いた自嘲的な内容。

https://objecthub.keio.ac.jp/ja/object/240

解説によれば、なんと「狂夫」=狂った男=浙翁如琰自身!でも、私なんてもはや狂った男……と語り出すことは、心に余裕のある風流な人でないとできない表現とも思えます。そんな風流な遊び心は、書風にも表れている気がしてきます。

冒頭の「狂夫」

冒頭の二文字を見ても、入筆は穂先(筆の先っぽのとんがり)がはっきり見えていますが、そこからくっと踏み込んで筆の腹(木の軸と穂先の間の部分)を使って太さを出していることがわかります。一つの線は同じ太さで進むのではなく、柔らかくしなやかに太さを変えています。

こうした筆の横側面をしっかり使いつつ揺れ動く緩急を楽しむような草書体で思い起こされる古典は王羲之『十七帖』でしょうか。浙翁如琰の墨蹟では、『十七帖』と同様に、あるいはそれ以上に手元のスナップをきかせながら、筆の自由さを楽しんでいるような印象を受けます。

2回目の「狂」

冒頭部1行目には、もう一度「狂」の字が出てきますが、一字目とは異なり「王」で筆先をくるりと回しています。この違いや線質の強弱にも、風流人の遊びが表れているようです。

筆者も筆の穂先以外の部分を最大限バリエーション豊かに、遊ぶように使うことを目指して書いてみました⏬草書の修行が全く足りず、まだまだ線に硬さは残りますが、No.1,2と比べると墨の掠れも少なくたっぷりと、一字の中の強弱をつけて書いてみました🤔
かなりリズミカルに、スピード感を持って書き進められた印象。

冒頭部分の臨書
「狂夫走索相与狂、湖 / 江吟雨湿衣裳、弄 /
水老人膝可屈、痩 / 石頭」

No.4 中峰明本筆尺牘

《中峰明本筆尺牘》

最後に臨書したのは、《中峰明本筆尺牘》。「クセのある字」という言葉を何度か使ってきましたが、今回臨書した「臥遊展」展示中の4作の墨蹟の中で、特大級のクセをお持ちなのがこちらの中峰明本さんです。

それは筆者の個人的見解、というわけでもありません。解説によれば、独特の書風は「笹っ葉中峰」のあだ名で知られてきたそうです。
確かに、その書き振りを見てみると、穂先から入って穂先から抜けていくクセによって、細長く伸びた笹の葉を思わせます🌱

お習字でよく言う、「トメ、ハネ、ハライ」とは趣の異なる「笹っ葉」が、一部分だけでなく全体的に見受けられるのが特徴的。

《中峰明本筆尺牘》に出てくる漢字の中に、前編でご紹介した《環渓惟一筆偈》にも登場するものを見つけたので、比べてみます⏬

右側 《環渓惟一筆偈》より「心」「在」「于」
左側 《中峰明本筆尺牘》より「心」「存」「于」

筆者が《中峰明本筆尺牘》を捉えきれていないところも散見されますが、「トメ、ハネ、ハライ」などの習字の基本点画を使いこなすことが鍵となる右側の《環渓惟一筆偈》からの臨書に比べ、左側では「トメ、ハネ、ハライ」で力まず、脱力して書いているように見えていたら、筆者にとっては成功なのですが……いかがでしょうか。

とはいえ正直なところ、「笹っ葉」をどう書いて良いのか(どうするとまとまって仕上がるのか)、どう練習して良いかわからず、ほとんどぶっつけ本番で書いてしまいました⏬

中盤部分から臨書
「瑞慶駢臻、且未克尺箋致 賀。
仰惟 閤下、心存道要、 識遠」

クセのある字の方が真似てみてそれっぽくしやすいなんて話もありますが、うーん、どうでしょう。これはなかなかぼんやりとした仕上がりになってしまった感は否めません。改めて《中峰明本筆尺牘》をじっくり見ると、この書・「笹っ葉」が本来持っている憎めない愛嬌のようなところが真似できなかったのかなと思っています。

一体どうしてこのようにユニークな「笹っ葉」にたどり着いたのか、不思議です。親しみを込めたニックネームと、一方でクセを貫けてしまうというある種の気の強さからは、柔和で人懐っこいけれど根っこに頑固さのあるお人柄を想像してみたりもしました💬

作品解説はこちらから💁⏬

おわりに

改めてそれぞれの書風の違いにしみじみ

作品を自分で書いてみると、普段眺めているときよりも視点が広がり、書いた人の性格や雰囲気を窺い知れるような楽しみがありました✨書道は書いた人の筆を運んだ軌跡からわかる手や腕の、あるいは体全体の動きとその勢い、引いては息遣いを色濃く伝えます。それはアクションペインティングを見るときのよう。憧れの僧侶の墨蹟を大事に受け継いだ禅僧も、書を通じてその人となりを感じ取ったのではないかと想像されます。日常的に筆を持っていた禅僧たちならなおさら、感じ取る力も高かったに違いありません。

案外忘れがちな「作る人目線」。素人視点ではありましたが、少しでも皆さまに共有できていたら嬉しく思います🌷

「臥遊展」は好評のうちに閉幕いたしましたが、これからもさまざまな展覧会でそれぞれの楽しみ方を紹介できたらなと思った次第でした🥳


「常盤山文庫×慶應義塾 臥遊がゆう―時空をかける禅のまなざし」

【会期】2023年10月2日(月)〜12月1日(金)
11:00–18:00 土日祝休館
特別開館|10月14日(土)、11月25日(土)
臨時休館|10月16日(月)、11月20日(月)
※期間中に展示箇所の入れ替えをする作品がございます。
前期10月2日(月)~11月1日(水)、後期11月2日(木)~12月1日(金)

【会場】慶應義塾ミュージアム・コモンズ(三田キャンパス東別館)
どなたでもご覧いただけます(事前予約不要)


文責:KeMiCo Honoka


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