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アート・ドキュメンテーション学会(JADS)が三田にやってきた!🏃‍♀️Part.1

6月11日土曜日、アート・ドキュメンテーション学会が、慶應義塾大学三田キャンパスで開催されました。

「アート」というと、絵画や彫刻を思い浮かべる方が多いと思いますが、実はアートには多様なスタイルの表現があります。「アート・ドキュメンテーション学会」は、さまざまな種類のアートに関連する資料を記録・管理・情報化し、実践的な運用をする研究をしています。

アート・ドキュメンテーション学会は、ひろく芸術一般に関する資料を記録・管理・情報化する方法論の研究と、その実践的運用の追究に携わっています。

アート・ドキュメンテーション学会 HP より

今回のシンポジウムは、「コレクションとコモンズ:コレクションをめぐる動向」と題されています。

近年、さまざまなオンラインプラットフォームが誕生し、コレクションは「情報」としての側面からの可視化と共有化が進みました。例えば、多くの美術館がホームページなどで、コレクション検索機能を提供しています。みなさまも、こうした機能を一度は使ったことがあるのではないでしょうか。

このような機能は非常に便利ですが、一方そこで提供されているのは、あくまで画像や文字、数値などの「情報」に過ぎません。もちろん、実体を伴った作品は、オンライン上の「情報」ほど身軽ではありません。しかし、作品と対面して初めて得られる情報量は非常に多く、作品はたくさんのことを教えてくれます。

今回のシンポジウムでは、実体を伴ったコレクションを、どのように幅広く共有し、活用することができるか考えます。

基調講演「コレクションとコモンズ:KeMCoの空き地的コレクションビルディング」    渡部葉子(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 副機構長/慶應義塾大学アート・センター 教授)

「慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)」という一見変わった名称は、KeMCo誕生の経緯に深く関わっている。近代の産物としての「ミュージアム」のあり方を見直す中で、いわゆる'University Museum'ではなく、分散型のミュージアムを構想した。

渡部さん 講演より

慶應義塾の長い歴史の中で、すでにたくさんの「もの」が集まっている状態からスタートすることになったKeMCo。一箇所にコレクションを集めて統括するスタイルは、現実的ではありませんでした。
さらに、近年「ミュージアム」のあり方を新しく考え直す動きが生まれています。あらゆる「もの」をできるだけ多くの人々に公開するという、近代的な「ミュージアム」の試みは、様々な歴史の見直しやインターネットの登場により、新たな姿が求められています。
そこで、KeMCoで打ち出されたのが「空き地」というキーワードです。

空き地とは?
 ・フルパブリックでも完全プライベートでもない。
 ・ゆるやかなメンバーシップ
 ・ゆるやかなルール
 ・遊びの工夫と創出(遊具が固定されていない)

渡部さん 講演より

キャンパスの中には、様々なバックグラウンドを持つ作品があります。もちろん作品保存の観点からは、全ての作品を、温湿度などが適切に管理された収蔵庫で保管することが望ましいかもしれません。しかし、代々部活動の合宿所で愛されてきた作品などなど、歴史や文化を鑑みて、ケアをしながら据え置きにしたり、作品自体は収蔵庫で保管するものの、代像を作り同じ場所に置くなどの判断をすることもあるのだとか。KeMCoにおけるコレクション・ビルディングは、「空き地」的にルールをしなやかに再解釈しています。

一般に、魅力あるコレクションの形成には、一貫性が求められます。しかし、コモンズ的なコレクションビルドでは、既存の枠組みに当てはまらないものを排除するのではなく、新たなコレクションの可能性として捉える「空き地性」を重視しているのだとか。例えば、〇〇時代の絵画を収集しているところに、××時代の写本が寄贈されたとき。写本を排除するのではなく、写本と、既存のコレクションの間で共通しているものは何か、写本も加えたコレクションはどのように再定義可能なのか、考えてみることです。

さまざまな経緯からものが集まりやすい大学のコレクションでは、美術館的な基準を絶対視せず、状況に則して対応していく必要があります。しかし、実は一般的なミュージアムでも、さまざまな経緯からものが集まることは少なくありません。それどころか、多くの文化財はむしろ、美術館的な状況に置かれることの方が珍しく、比較的日常に近い形で置かれているのではないでしょうか。

コモンズ的なコレクションビルドは、今まで見落としていた作品の新たな側面に気づき、その本質を考え直す契機になるかもしれません。渡部さんは、既存のルールに過度な信頼を置きっぱなしにせず、常に「ルールに創造的な契機を与える可能性」を考えることは、「コレクションについての違った風景を拓く」可能性を秘めているのではないかと締めくくりました。

人が集まるところには、ものも集まります。ものから、人の動きや、関わりが見えてくることも少なくありません。しかし、こうした集約的なコレクションの形は、スペース上の問題や、一括管理のための大掛かりな予算など、あまり現実的ではなくなってきています。ものを分散させて管理することで、今度は「もの」を起点に新たな解釈や創造、語りが生まれるかもしれません。

「使いながら保存し次世代につなげる「在野保存」ー資料の保存・継承の新たな試みー」三島 美佐子(九州大学 総合研究博物館 教授)

三島さんは、「在野保存」という、新たなスタイルでの保存・継承の取り組みについて、ご紹介くださいました。一般的な美術館などの「保存」というと、厳密に管理される収蔵庫などを連想しますが、「在野保存」とはどのような保存方法なのでしょうか。

在野保存とは、使って、保存していくこと。

三島さん 講演より

三島さんが「在野保存」を試みているのは、「什器(じゅうき)」と呼ばれる、家具、食器、備品などのこと。大学では、実験器具や機器、教材などが主になります。大学の什器の場合は、学内外に貸し出しながらの在野保存になるのだと言います。

九州大学歴史的什器保全再生プロジェクト」では、できるだけ多くの什器をレスキューするべく、家具に詳しいアーティストなどと共に協働しているのだとか。こうしてレスキューされた机や書棚は、科学館やカフェなど、さまざまな場所で新たな役割で活躍しているのだそうです。

イギリスのTATE MODERNが元は巨大な発電所であったように、古い建築を活用しながら保存する活動は、多々あります。しかし、建物(エクステリア)の中にある什器(インテリア)の保存は、今まであまりきちんと検討されてこなかったのかもしれません。什器の「在野保存」は、アートと社会の、より広範なサステナビリティのヒントになるかもしれませんね。

「分散型芸術資源アーカイブの可能性」
佐藤 知久(京都市立芸術大学芸術資源研究センター 教授)


佐藤さんは、京都市立芸術大学芸術資源研究センターで、芸術に関するアーカイブを作る仕事をされています。元々は文化人類学の研究をするなど、芸術の領域を超えて活動されてきたのだとか。

あらゆる記録媒体の発達によって、誰もがさまざまなものを記録することができるようになった現代(=「万人の記録者化」)。デジタルのデータは物理的な空間を圧迫しないため、保存に際して評価選別する必要がなくなりました。

佐藤さんいわく、現代のアーカイブは、分散的に保管していくことで、漏れをなくそうという試みなのだそうです。また、佐藤さんは、現代のアーカイブの新たな可能性として、「自律分散型モデル」を挙げています。 これは、ブロックチェーンのテクノロジーを通じて、コレクションの管理をデジタル化し、台帳を共有する状態を目指すものです。

佐藤さんは、こうした「分散型資源アーカイブ」について、新しいブロックチェーン技術の環境に飲まれないように注意する必要があるとしながらも、記録の残し方にまつわる決定的な変化が始まりつつあるのではないかと締められました。

「なぜロダン《考える人》が東京にあるのか」
川口 雅子(独立行政法人国立美術館本部 アート・コミュニケーションセンター(仮称)設置準備室)

最後のスピーカーは、川口さん。
川口さんは、本日のスピーカーの中では唯一(!)大学ではなく、国立西洋美術館という美術館に勤務されています。

美術館では作品を収蔵する際、徹底した来歴調査が実施されます。これは、ICOM(国際博物館会議)の職業倫理規定に則ったもので、美術館には、作品が過去に不法に入手されていないかなどをチェックする責任があるのです。

国立西洋美術館では、「松方コレクション」の研究を重大な課題とみなしているそうです。松方コレクションとは、川崎造船所の社長を務めた松方幸次郎が、ヨーロッパで収集していたもの。川口さんたちは、2018年から2019年にかけて、『松方コレクション 西洋美術全作品』の刊行のために、松方コレクションの来歴調査を実施したのだとか。

国立西洋美術館 ホームページより

国立西洋美術館のファサードにある、オーギュスト・ロダンの《考える人(拡大作)》。もちろんこれは、《考える人》の型を所有しているフランス政府から正式に許可を得て鋳造したものです。

このように、《考える人》が国立西洋美術館にある経緯は、記録に基づいてきちんと説明することができます。川口さんは、「作品はさまざまな経緯からその場所にあるだけの理由があり、歴史的文脈がある。美術館における来歴研究は重要な位置を占めている」と締められました。

コモンズの課題と、提案。キーワードは「大学」?

最後に、渡部さんと、3人のゲストスピーカーのお話を踏まえ、簡単なディスカッションも行われました。

コレクションの共有に際し、権利をきっちりと明文化することは、とても重要なことです。そうした点で、国立の美術館に勤めている川口さんたちが、しっかりとした管理体制を維持していることに対して、非常に安心感があると渡部さんは述べました。

対して、コレクションやアイデアが共有されている曖昧な領域(「グレーゾーン」)は、自由なクリエイティビティが生まれる場にもなるのではないかというのが、今回のシンポジウムでの発見です。例えば佐藤さんは、アーティストグループの「ダムタイプ」の活動について紹介されていました。

しかし、こうした場にも課題は残ります。コレクションやものを誰かと共有する際、各々の自由裁量の範疇を増やすと、管理が行き届きづらくなるという問題です。そしてもう一点、誰かと協働する際には、誰のアイデアなのかなどの権利関係が曖昧になり、最悪の場合、搾取などにつながる危険性があるのです。

それでは、自由裁量を拡大しつつ、搾取やコレクションの紛失を防ぐにはどのようにすれば良いのでしょうか。

まず、さまざまなことの経緯をきちんと記録に残しておくことが重要なのではないかという指摘がありました。適切な環境での自由裁量をきちんと広げていくためには、あらゆる判断の拠り所になるような記録を残し、共有すべきなのではないか、ということです。

加えて、上記のような倫理や信頼の問題に対し、「大学」というキーワードも挙がりました。大学には、教育的な観点から、新たな試みを続ける社会的な責任があります。こうした責務は、一般的な美術館の責務とは異なり、時に行き当たりばったりながらも、フレキシブルに挑戦を続ける、大学ならではのものです。

慶應義塾ミュージアム・コモンズは、その名前の通り、大学における「コモンズ」のあり方を日々模索しながら様々な課題に取り組んでいます。展覧会のみならず、様々なワークショップや、今回のようなシンポジウムなど、「大学ならでは」でありながら「大学という枠に囚われない」KeMCoの挑戦を、どうか温かい目で見守ってください!!✨

文責KeMiCo KOYURI


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