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シンポジウム「我に触れよ:コロナ時代に修復を考える」

三田祭も終わり、いよいよ本格的に冬到来!という雰囲気ですね。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

KeMCoでは去る11月6日、「我に触れよ:コロナ時代に修復を考える」と題してシンポジウムを開催いたしました。

今回は、その様子をダイジェストでお届けできたらと思います…!

シンポジウムは、大まかに

第1部 「触」を考える
 「見出し、ケアし、伝える」渡部葉子(KUAC/KeMCo)        
 「ケアをする手」伊藤亜紗(東京工業大学)

第2部 修復の実践
 黒川弘毅(武蔵野美術大学/ブロンズスタジオ)   
           
 髙橋裕二(ブロンズスタジオ)           
 宮﨑安章(修復研究所二十一)
第3部 ディスカッション

という構成で進行されました。

第1部 「触」を考える

渡部葉子先生は、「見出し、ケアし、伝える」と題して、大学や学校において美術品を次の世代に受け継いでいく際に重要な部分についてお話しくださいました。
学校中に散らばる作品を「子供」に、作品を普段見守る学芸員を「親」に、そして子供の不調を治療する専門の修復家を「医師」に例える説明が、大変わかりやすく印象的でした。

伊藤亜紗先生は普段、触覚をもとにした人間関係について研究されており、今回は「我に触れよ」という展覧会タイトルにちなみ、「さわる」という行為と「ふれる」という行為についてお話くださいました。
「さわる」という行為は一方的・対もの的であるのに対し、「ふれる」という行為は相互的・対人間的な行為であるのだそうです。美術やアートという文脈とは少し離れた位置から「我に触れよ」という言葉について考える伊藤さんの視点は、今回のシンポジウムの登壇者のみなさまにも、新鮮に受け止められたようです。

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第2部 修復の実践

第2部では修復家のみなさまにご登壇いただき、具体的な事例などを通じて、実際の修復作業にまつわるお話を伺いました。

黒川弘毅先生(武蔵野美術大学/ブロンズスタジオ)は、ご自身も彫刻家である、ブロンズ彫刻の専門家です。
三田キャンパス内の屋外彫刻《平和来》を事例に取り上げながら、大気汚染などによる劣化から作品を守るための取り組みについてお話しくださいました。彫刻洗浄は、保存作業の一環であると同時に、重要な鑑賞の機会であり、活用と保存が拮抗しない例なのだそうです。黒川先生が最後におっしゃっていた「鑑賞は楽しいことが大事」という言葉が印象的でした。

髙橋裕二先生(ブロンズスタジオ)は、イタリアの彫刻家アルナルド・ポモドーロの《太陽のジャイロスコープ》を例に、修復家が何を考えているのか、というテーマのもとお話しくださいました。実際の修復の手順や、その際に重視されていることなどについて、実際の作業の写真も交えながら詳細にご紹介くださいました。

最後の登壇者は、宮﨑安章先生(修復研究所二十一)でした。
宮崎先生は、三田キャンパス西校舎にある猪熊弦一郎《デモクラシー》の修復についてご紹介してくださいました。普段、美術館の展示室などで作品を鑑賞していると、作品が目の前にあることを当たり前のように考えてしまいますが、目の前の作品は先人の努力によって後世に残されてきたという事実が重要なのだ、とお話しくださいました。

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第3部は、第1部、第2部の登壇者の方々が、それぞれの領域から「我に触れよ」という言葉についてクロストーク形式のディスカッションを行いました。今回のシンポジウムは、様々な側面から「ふれる」ことについて再考する契機になりました。

すでにyoutubeでもアーカイブ配信を公開しておりますので、ぜひこちらもご覧ください。

文責 : KeMiCo KOYURI