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デザインワークショップ 「強くないデザイン:正解からこぼれ落ちていくものたちへ」

去る7月16日、KeMCoにグラフィックデザイナー・詩人の尾中俊介さんCalamari Inc.)をお迎えし、デザインワークショップ 「強くないデザイン:正解からこぼれ落ちていくものたちへ」を開催いたしました!🎉

尾中さんは今回、このワークショップに合わせて、普段の活動拠点である福岡から三田キャンパスまでお越しくださいました。

ワークショップ参加者としては、普段、健康医学から美学、社会学など、さまざまな領域で研究をしている博士課程のみなさんが集まりました。デザイン関係の仕事の経験がある人から、ほとんど初めてデザインに触れるという人まで、経験や思い入れもさまざまなようでした。💭

ワークショップのながれ

今回のワークショップでは、写真のレイアウトとコラージュで16頁の冊子をつくります。そのために、参加者のみなさんには、事前にいくつかの準備をしていただきました。

[事前準備]
1. 内容を決める/どんな本を作りたいか、その内容を考える。
→些細なモノ・コトでもOK。
2. 素材を集める/本の内容に沿っている(と思われる)素材を集める。
→写真であればスマホで撮影した画像でOK。30-40枚程度。

事前に集まった写真は、愛猫から、(自分の)CTスキャン画像、旅行先での一コマ、自分で描いた絵など、バラエティに富んだものでした。📸

「強くないデザイン」

ワークショップ当日。参加者はまず、尾中さんのレクチャーを聞き、後半のワークに備えました。

「強くないデザイン」とはいったいどういうことなのでしょうか。

ワークショップは、KeMCo5階の実習室を使って行われました。

さまざまなもの・ことが集中している都心では、人々は常に一つの「正解」を探しています。目指すべきとされる正解は、例えば「売れるデザイン」などの一つの直線的な方向に集約されていきます。尾中さんは福岡を拠点に、正解、もしくは一般的な価値観からこぼれ落ちるものと向き合い、デザインをしているのだそうです。

ファシリテーターを務めたKeMCoの本間も、「世の中に出ているものは、結果的には最適解かもしれないけれど、そこに辿り着くまでのプロセスは、向き合った人の数だけある」と感じるそうです。例えば今回集まった参加者は、普段さまざまな研究をしています。今回のワークショップは、綺麗にまとまり切らない研究過程を、どのように抱えていくか学ぶきっかけになるかもしれません。

尾中さんとファシリテーターの本間

今回のワークショップは、多くの人々が目指す「正解」という、「強い(わかりやすい/安心できる)」デザインではない、「強くない」デザインと、手を動かしながら向き合うものです。

尾中さんのデザインに触れる!

簡単なレクチャーの後、参加者が作業に取り掛かる前に、尾中さんが過去にデザインした本を紹介してくださいました。

過去にデザインを手がけた本を紹介してくださる尾中さん

電子書籍の増加に伴い、実際に本を手に取って読む時間は減っているかもしれません。また、紙の本を購入する際も、オンライン書店を利用することが増え、書影の画像のみで購入を決めることも少なくありません。

尾中さんは、「やはり、紙の書籍は衰退する傾向にある」としながらも、今回のワークショップでは、一つの一般解に向かう中でこぼれ落ちるもののひとつ、「物質としての本」とじっくりと向き合ってみることを提案しました。

いざ、デザイン開始!

A3のコピー用紙を5枚ずつ配られた参加者は、全16ページ(+表紙)の冊子形式で、まずはそれぞれが持ってきた写真を並べてゆきます。

個性あふれる写真を前に、「その写真はどこで撮ったんですか?」「これは何ですか?」などと、参加者同士の会話が生まれていました!✨

まずは、写真の順番や配置を考えてゆきます

そして、作業が軌道に乗り始めた午後の作業では、新たな展開が…!
尾中さんより、「自分以外の参加者の写真を(1枚以上)組み込む」というミッションが発せられました!

写真交換はコミュニケーションのきっかけにもなりました。

自分以外の写真を使うことには二つの理由があるのだとか。

まず一つ目。
デザイナーは基本的に、誰かのものを元に作業しなくてはならないから。自分が使いたい要素以外のものを活かす能力を養います。

そして二つ目は、「ジャンプ」することができるから。
自分の外にあるものを取り入れることで、整合性のとれた淡々とした仕上がりを内破することができるのだそうです。

尾中さんは、デザイナーのほかに「詩人」としての肩書きもお持ちです。実は、尾中さんがデザインの仕事に関心を持ったのは、フリーペーパーを作るためのタイポグラフィを探していて、古本屋で偶然出会った田村隆一という詩人の本がきっかけなのだそうです。尾中さんいわく、議論を積み上げる哲学とは対照的に、詩にはジャンプする力があるのだとか。

(とりあえず)出来上がり!

最後に、参加者それぞれが今日1日のワークショップを通じてつくった冊子を紹介しあいました。

自分の本のコンセプトを説明中。マスキングテープもいい味を出しました。

完成まであと一息というところでタイムアップになってしまった参加者もいましたが、限られた時間の中でそれぞれが、冊子の形まで作り上げることができました!🏃‍♀️

尾中さんからのミッションが功を奏してか、どの冊子でも他の参加者の写真が、コンセプトに深みを与えるエッセンスになっていました。筆者も、尾中さんの言うところの「ジャンプ」の意味を、この段階で感じることができました!

ワークショップを終えて…

さまざまな情報に簡単にアクセスできる現代において、「正解」を探し出すことは以前ほど難しくなくなっているかもしれません。しかし、明確でわかりやすい解答は常に用意されているわけではありません。

《Matrosen (Sailors)》1966, 油彩キャンバス(出典:ゲルハルト・リヒターHP作品ページより)

ドイツ出身の現代アーティストのゲルハルト・リヒターは、ぼかされた写真のような「フォト・ペインティング」について、以下のような言葉を残しています。

I blur things to make everything equally important and equally unimportant.(私は物事を、等しく重要であると同時に等しく重要でなくするためにぼかす。筆者訳)”

(参照 :  The official website of Gerhard Richter)

曖昧さは、明確な解答を求める直線的で画一的な価値観に一石を投じます。画一的な価値観は、誰にでもわかりやすく親切ですが、実は脆く弾性に欠けます。

今回のワークショップ「強くないデザイン:正解からこぼれ落ちていくものたちへ」では、複雑で曖昧なものを、何かにカテゴライズして答えを無理やり割り振らず、複雑なままに抱えきる胆力の重要性を学ぶことができました。

(文責 : KeMiCo Koyuri)