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【守ること、伝えること】文化財の修復を取材! 「弘法大師像」#1

美術館の仕事は展⽰だけではない???

美術館の仕事というと、作品の展⽰というイメージが強いかもしれません。しかしそれだけではありません。
作品の保存と修復も、美術館にとって⼤切な仕事なのです。

というのもこの度、「弘法⼤師像」(鎌倉時代、
AW-CEN-001854-0000、慶應義塾(センチュリー⾚尾コレクション))の修復が、文化財修復事業への助成金を得て、2022年〜2023年の2年間で実施できることとなりました!(注1)

note では、KeMiCoの宮﨑が、修復の経過を順次紹介していきたいと思います。よろしくお願いいたします!

「弘法⼤師像」について

修復工房での修復前調査の様子

まず作品紹介です。
本作は総⼨233.4cm×149.6cm(本紙140.1cm×120.5cm)の⼤幅です。

描かれているのは弘法⼤師・空海(774-835)。
空海と⾔えば、真⾔宗開祖のあの偉⼤な僧侶です。

空海は804 年に唐に渡り、恵果(けいか)より密教を学びました。帰朝後は、816 年には⾼野⼭⾦剛峯寺を開き、⽇本において真⾔密教を広めます。

「弘法大師像」鎌倉時代(慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション))

本作の⼤師は床座に坐しており、左⼿には数珠、右⼿には五鈷杵を持っています。
また、胸元を大きく開けずに、襟をしめ、衣の袖から筒袖状の内衣が描かれている点も注目したいポイントです。
このような特徴を持つ⼤師像は、「互いの御影(たがいのみえい)」と呼ばれる珍しい形式の⼤師像で、その点においても貴重な⼀作です。

「互いの御影」とは、空海が⼋幡神と互いに姿を写しあったという伝承を持つ図様です。神奈川・浄光明寺(じょうこうみょうじ)には、本作と同図の弘法⼤師像が僧形⼋幡神と対幅で伝存しています。(注2)

本作が制作されたのは鎌倉時代・嘉禎(かてい)四年(1238)。作品左下には「嘉禎四年 戊戌正⽉⼗⼋⽇ 僧 厳海」という銘記があります。

「弘法大師像」左下銘記(白黒撮影)

厳海(ごんかい・1173-1251)は鎌倉時代前期に活躍した真⾔宗僧侶で、鎌倉幕府四代⽬征夷⼤将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)を⽗に持つ⼈物です。本作制作年と同年の歴仁元年(1238)に厳海は東寺三⻑者に叙せられた⾼僧でありました。


現時点における修復状況

以上のように貴重な本作ですが、その状態は損傷が⼤分進んでいました。著しい折れ、画絹の欠失、不具合な旧補修、汚れやカビ、糊離れなどです。

本作は株式会社・修護様に修復を依頼しています。
修復に関する打ち合わせのため、東京⽂化財研究所内の修理室にお邪魔しました。

「弘法⼤師像」は現在、修理室で解体作業が進められています。表装裂および軸⽊が外されており、写真では机に広げられています。背後には「弘法⼤師像」が仮貼りされているのが⾒えます。

修復についての打ち合わせ光景

修復過程ではまず、作品のどこが傷んでいるか把握するために詳細な調査を行い、修復が必要な箇所を明確にして対処法を検討します。またどういった絹に描かれているのかの確認には、顕微鏡による撮影も行います。

細部の状況を記録している

ここでは、画絹の欠失や過去の補修で補われた絹を詳細に見ていきましょう。これは、画絹が欠失した部分の顕微鏡写真です。
下半分は絹が無くなっているので、裏彩色という絹の裏面に施された彩色がよく見えています。

顕微鏡による拡大写真

さらには過去に修復した際に、補われた絹も拡大して見てみましょう。

補絹の拡大写真

こちらも顕微鏡で⾒てみると、絹⽬が全く異なることが⼀⽬瞭然ですね。

このように、傷んでしまったところがどのような状況なのか(絹が無いのか、過去に絹が補われているのかなど)を、事前に細かに調査をしてから、修復作業を進めていきます。

緻密な調査のあとは、材料準備

今後の修復工程では、水を用いるクリーニングや、⿊⾊に染められている旧裏打ち紙の取り外しをおこないます。
そして既に当初の絹が失われてしまっている所には、新しい絹(補修絹)を施していきます。そこで必要になるのが、補修絹の作成です。

作品の見え方を大きく左右する重要な工程である上、絹糸の太さや織組織を、当初の絹に合わせていかなければ、作品に無理をきたすことになります。慎重に検討を進めていかなければなりません。

絹を選んだら、電⼦線によって人工的に劣化させて、補修に適した絹となるように加工します。そうでないと、補った絹とオリジナルの画絹のバランスが合わず、損傷を広げてしまうからです。
劣化させた絹は、簡単に折れてしまうほど繊細なものでした。

左は電子線によって劣化した絹、右は劣化前の絹

修復では判断することが沢山あります

さらに、この第⼀回打ち合わせでは、今後の修復計画についても相談しました。

ひとつめは、肌裏紙の色の決定です。肌裏紙は本紙の裏にあてられる紙のことです。現在は墨色の肌裏紙で暗い印象ですが、絹の目から透ける肌裏紙の色によって、作品の印象は大きく異なります。
弘法大師像は、どのような肌裏紙にしたら良いか、、、重要な判断が求められます。

画像出典:https://www.tobunken.go.jp/exhibition/202103/日本絵画の修復/掛軸/

つづいて、表具裏に記される墨書の保存方法についても相談しました。

表具裏の墨書

「奉為芸陽太守御武運⻑久御息災延命御⼦孫繁昌万⺠安全五穀成就」と記されており、芸州浅野家が所有していた品であると思われます。
この墨書は伝来を伝える重要な資料なので、本体と分かれ離れにならないよう、取り外し、新たに作製する「弘法大師像」の収納箱に、⼀緒に収めることになりました。

現在の仮貼りされている「弘法大師像」(レア写真!)

今後の打ち合わせでは、表装裂の柄についても相談をしていく予定です。
引き続き、修復の過程を随時発信していきますので、お楽しみに!

文責:宮﨑黎(慶應義塾大学修士課程2年、KeMiCo)
監修:松谷芙美(慶應義塾ミュージアム・コモンズ専任講師)


(注1)「弘法大師像」(嘉禎四年)の修復事業は、公益財団法人出光美術館、公益財団法人朝日新聞文化財団、公益財団法人住友財団の3者より助成を受けて実施しています。
(注2)内田啓一「互いの御影」空海と僧形八幡神画像についてー成立から浄光明寺本までー」『仏教芸術』(330)、毎日新聞社、2013年