Tangite me(我に触れよ)って?ー大学ミュージアムと修復ー
秋学期も始まり、三田キャンパスも秋らしくなってまいりました。
「我に触れよ(Tangite me):コロナ時代に修復を考える」スタートの10月18日まで、残り3日となりました。
今回は一見、美術館や博物館のイメージからは離れる、「触れよ」という言葉の意味、そして"Tangite me"という言葉の意味についてご紹介します!✨
作品に、「触れ」なくてはいけない職業…?
突然ですがみなさま、美術館の作品に「触れた」ことはありますか?🙌
特殊な場合を除きほとんどの方は、作品に触れる機会はないでしょう。
(特殊な場合 : 例えば、川崎市岡本太郎美術館では、岡本太郎が制作した椅子に座ることができるコーナーが設けられていました。座ることも、「触れる」という行為の一環であると言えますよね!)
ところが、日常的に作品に「触れる」ことを仕事にしている人々もいます。勘の良い方はお分かりかもしれませんが、学芸員や、修復家です。
修復において、「触れる」という行為は、本質的に避けられない重要な意味を持ちます。
しかし、コロナの影響で、さまざま場所で非接触式の機器が導入されるなど、「触れる」という行為が持つ意味は、ここ数年で大きく変化しました。
Tangite me ってなに?
今回の展覧会のタイトルにもなっている、"Tangite me"という言葉。
一体どういう意味なのでしょうか。
ヒントは、”Noli me tangere”
ラテン語で「我に触れるな」という意味です。これは、聖書の一場面で登場し、絵画の主題にもなる言葉です。
(フラ・アンジェリコ《ノリ・メ・タンゲレ》 出典: WEB GALLERY of ART )
Tangite me(我に触れよ)はこの有名な一節にインスピレーションを受けて今回展覧会のタイトルとしました。
修復を必要としている作品は、修復家に向けて"Tangite me"と語りかけているのかもしれません。
こうした作品の声に耳を傾け、ともすれば作品を傷つけることにもつながりうる「触れる」という行為を、私たちはどのように捉えるべきなのでしょうか。
美術館永遠のジレンマ 展示VS保存
美術館は、鑑賞者にとっては作品が展示されている場所にすぎないかもしれません。しかし同時に美術館は、作品を収集し、調査し、保管するための場所でもあるのです。
作品を展示するという行為は、作品にとって最も適した環境である収蔵庫から出なくてはならないことを意味します。
例えば、特に繊細な日本画などは展覧会会期の途中で、「展示替え」と呼ばれる差し替えが行われます。これにはもちろん、より多くの作品を紹介したいという意味もありますが、長い期間の展示によるダメージから作品を守るためという理由もあるのです。
大学で考える「修復」のあるべき姿
一方で、三田キャンパスではたくさんのアート作品を常時鑑賞することができます。
その多くは、屋外でも激しい劣化や損傷を受けづらいブロンズ彫刻や、ステンレスの彫刻、もしくは屋内に常設されている大理石の彫刻や、油彩の絵画などです。
しかし、いくら劣化しづらいとはいえ、理想的な状態を保つためには、定期的なメンテナンスが必要になります。
例えば、三田メディアセンターの入り口には、宇佐美圭司の 《やがてすべては一つの円のなかに No.1》が設置されています。
塾生の皆さまは、一度は見たことがあるのではないでしょうか?
作者の宇佐美圭司は、作品の画面をガラスやアクリルで覆わない主義なのだそうで、また、入り口ということもあり人通りも多いため、定期的なクリーニングを行っています。
今回の展覧会「我に触れよ(Tangite me):コロナ時代に修復を考える」は、KeMCoと慶應義塾大学アート・センターを会場にした展示のみならず、屋外彫刻作品の洗浄ワークショップやシンポジウムなど、複数のイベント群によって構成されています。
大学という教育機関において、すでに完成しきった展示をお見せするというよりは、リサーチの一環として、さまざまな角度から「修復」について、みなさまと共に考えるきっかけをたくさん用意しています。
シンポジウムはオンラインで実施予定(ウェビナーご予約はこちらから)ですので、遠方の方もぜひこの機会にご参加ください。
文責 : KeMiCo KOYURI