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アーティスト・トーク「河口龍夫|長生きしたカゲロウ」(4/11) レポ🗒

去る4/11、KeMCoで開催中の展覧会「エフェメラ:印刷物と表現」展出品作家の河口龍夫先生をお迎えし、エフェメラについて語っていただくアーティスト・トーク「長生きしたカゲロウ」が開催されました。
本展では「エフェメラ/印刷物と現代における表現の接続」パートを企画され、これまでにも慶應義塾アート・センターでの個展などで河口さんとお仕事をされてきた渡部葉子さん(ミュージアム・コモンズ副機構長/慶應義塾大学アート・センター教授・キュレーター)が聞き手となり、エフェメラについての考え方や各作品の制作エピソードをお話いただき、また、後半にはお二方と一緒に展覧会会場を訪れる贅沢な時間も設けられました。

本noteではイベントに参加したKeMiCo(学生学芸スタッフ)がその様子をレポートしていきます🗒✨

Room2河口さんパート展示風景

河口さんのプロフィールや展示作品の一部についてはこちらの記事でもご紹介しています⏬


①コトバが追いかけてくる

本展覧会のテーマとなる「エフェメラ」という言葉。noteでは以下の記事でその意味についてご紹介してきました。

本展では、図書館などではprinted ephemeraとも称される印刷物エフェメラに特に焦点を当て、発行当時の時限的な情報を載せ、広く一般に手に取られた時代性を色濃く伝える展覧会の案内状・ポスター・冊子等を展示しています。

展覧会HPには以下の文言があります📃

本展覧会ではそうした紙面上の実験を紹介しながら、結果的に過去の出来事を伝え残す存在となったエフェメラに目を向けて、情報や表現の乗り物としての印刷物/エフェメラについて考えます。

また現代表現との接続として、エフェメラ/印刷物に関心を寄せる現代のアーティスト、河口龍夫と冨井大裕による二人展を同時に開催いたします。

https://kemco.keio.ac.jp/all-post/20240318/
最終閲覧:2024年4月16日(太字は筆者による)

すなわち、「エフェメラ/印刷物に関心を寄せる現代のアーティスト」として河口さんにご出品いただいている訳なのですが、実は河口さんは最近まで「エフェメラ」という言葉を知らなかったのだそう。

昨年、「先生のお仕事は詰まるところエフェメラに関わっている。だからぜひエフェメラについて執筆して欲しい!」という依頼(※)が入ったことで、”ephemera”=印刷物という用法のほか、「儚い」という意味や、朝から夕方までの短命な昆虫「カゲロウ」の意味を持つことを知った、と言います。
ご自身の制作が実は「エフェメラ」に対峙していたとわかって、「コトバに追いつかれた」感覚があったそうです。

時代の最先端を歩まれるからこそ、その歩みに言葉が付けられる=「コトバに追いつかれ」るということが起こるのでしょう。渡部さんは、「この展覧会を通して河口さんのエフェメラを通した表現がかなり早い時期から始められていることを知った」とおっしゃっていました。
では一体、「エフェメラ」という言葉を知る前と後では何か変化があったのでしょうか??お話は続きます。

※こちらの書籍になりました⇓

「エフェメラ」と出会う前

河口さんが「今にして思えばあの作品もエフェメラ」と思う最初期の作品が、《関係》(1970年、京都国立近代美術館蔵)。(⇓)
京都アンデパンダン展の出品票をはがし、コピーして4点作って作品として出したのだそう。

本展出品作の中では、こちらの作品(⇓)が最も古い作品で、1998年「河口龍夫 封印された時間」展(水戸芸術館現代美術ギャラリー)のポスターに描き込みがされています。
このうち、黒く塗りつぶされた左の2点は2024年の新作、右側の3点は展覧会当時1998年の作品です。

(左から)《闇 封印 時間》2024年、《宇宙探査機ヒマワリマムサス号》2024年、
《時間のポスター》1998年、《封印 時間》1998年、
《封印に向かうポスター》1998年

また、「河口龍夫 時の航海」展(発電所美術館)のポスターは、このように(⇓)
こちらも左手が新作、右手が会期後すぐの制作です。

(左)《船と月と星》2024年
(右)《時の航海》1999年

河口さん曰く、「エフェメラ」という言葉と出会う前は、展覧会が終わってすぐに、作品とも思わず作ったのだそう。「すごく気楽に」「もうちょっと僕の世界へおいで」という気持ちで手を加えていたとおっしゃいます。

「エフェメラ」と出会った後

しかし今年の制作は一味違ったそうです。「エフェメラ」という言葉を知って、ご自身の取り組みを「エフェメラ」という言葉が追いかけてきたことによって、「エフェメラじゃなくて河口作品だ!!」という主張をしたくなってくるので、制作上少し気負うようになった、と仰っていました。

そう伺ってから作品を見ると、今年制作された作品ではポスター特有の時限的な情報から離れた表現が行われているような💬
展覧会とは別の空間が展開されているような感覚になるのは、展覧会開催時から時間が隔たっているということだけでなく、河口さんの「エフェメラじゃなくて作品」という思いが入っているからかもしれません。

《船と月と星》部分

「時の航海」ポスターでは、1999年時は展覧会名が画面上に残され、作品名にも残っていますが、2024年時では画面からも作品名からもいなくなって、宇宙空間が広がっている……と、思いきや、「時航海」の「の」の文字が三日月に再利用されています🌙!河口さんから思わぬ遊び心が明かされて、会場もほっこりした一幕でした。

※河口さんの過去の展覧会情報はこちらから

②ポスターが語りかけてくる

死骸になったポスター

河口さんのお仕事の中に、異色の経歴として「『見ること』が奪われた展覧会」があります。その理由は、コロナ禍。2020年、展覧会「SHOW-CASE project No. 4 河口龍夫 鰓呼吸する視線」(慶應義塾アート・センター)は、大学機関のロックダウンにより展示施設が封鎖され、展示自体は行われたものの鑑賞者が来場できない事態に陥りました。

その経緯はこちらにまとめられています⇓

そのとき、河口さんは展示が見てもらえないということを初めて経験されたと言います。手元にあった展覧会ポスターの「日付が何の意味も持たない」「効き目がなくなる」。そんな状況に、「ポスターや案内状が怒ってる」「死骸になったポスターを何らかの形で有意味なものにしたい」と考え、手元にある怒れるポスターたちを作品にしていったのだそうです。これは、それまでのエフェメラを使った作品制作とは異なるフェーズにあったと仰います。

当時の作品はこちらからも少し見ることができます⇓

展覧会会期が延長を重ねた展覧会「鰓呼吸する視線」を受けて翌年開催されたのが、「[現代美術展] Artist Voice I: 河口龍夫 無呼吸」(慶應義塾アート・センター)(⇓)。開催期間は、(開幕後の延長を含めて)2021年4月19日〜 7月30日。コロナ禍の1年間に制作された80数点の作品が出品されることとなりました。
しかし……この期間は三回目の緊急事態宣言(2021年4月25日~6月20日)と重なり、展覧会は再び開催を危ぶまれる事態となってしまいました。

この展覧会ポスターから生まれた作品がこちら⇓

「無呼吸」展ポスター作品群
左側の7点:2021年、右側2点:2022年

特に2021年制作の7作品を見てみると、美しさと一緒に、緊急事態宣言下で制作されたと知ると何だかこちらも胸騒ぎがしてきます。

(最左上)《無呼吸からの飛翔》2021/3/31
(最左下)《レクイエム 9176 あるいはエープリルフール》2021/4/1
(中左上)《レクイエム 9194》2021/4/2(中左下)《レクイエム 9236》2021/4/5
(中右上)《レクイエム 9255》2021/4/6(中右下)《希望への脱出》2021/7/24
(最右)《レクイエム 15126》2021/7/24

これらの作品は制作年ではなく制作日が伴っていますが、その日までにコロナで亡くなった方の人数に合わせて点が打たれているのだそうです。2021/7/24の作品では紙幅が足らなくなり、継ぎ足されています。
河口さんは、数えながら点を打つ作業では、腱鞘炎になりそうで後悔しながらも、鎮魂(レクイエム)として、「美しくしたい」「それは、残酷なことに対する僕としてのマナー」とおっしゃっていたのが印象的でした。

会場からは、「死を連想する描き方よりずっと印象に残る」という声も上がっていました。

ポスターを救う

(上)《紙にもどったポスター》2022年
(下)《切断されたポスター》2022年

怒れるポスターを作品に変える河口さんが辿り着いた「僕自身のこの仕事の結論」が、会場では7点の紙飛行機入りポスターと少し間をあけて展示されたこの2点の作品です。「ポスターを紙に還してやろうと思った。」そこで、展覧会についての文字情報を白い絵の具で塗り潰し、白い紙に戻す=「役割から解放してポスターを救った」と河口さんはおっしゃいます。

筆者としても、お話を聞きながらコロナ禍の鬱屈とした気分と重ね合わせて前者の7点のポスターが一つ一つの点を数え上げながら、文字を残しつつ多くの彩の中に展開する様を見ていると、あのときのどうにかこの状況を脱したい!というもどかしさが蘇ってくるようでしたが、
反対に、《紙にもどったポスター》で訪れた静寂な画面には、白い絵の具の跡からその過去を辿ることはできるものの、コロナに囚われずに生活できている今の状況を省みて、ポスターだけでなく私たちも一つの災厄から解放されつつあることを感じました。

③感謝を作品にする

学芸員もエフェメラ?

展覧会ポスターというエフェメラが作品になっているので、お話の中では展覧会開催当時の裏話もたっぷりと伺うことが出来ました。
こんな格好をした○○さんという学芸員が訪ねてきて……とか、こんな話ぶり
の○○さんが木船を見つけてきて……とか、○○さんが作品を見て涙する姿に心を動かされて……などなど。

すると、河口さんからこんな言葉が。
「展覧会をすると作品はもちろんチケットや図録は残るのに、その仕事の上ですごく重要な担当学芸員の名前は残らない。図録などからなんとなく察するくらいしかできない。学芸員の存在もエフェメラじゃないか……だから、お世話になった学芸員の名前も出していこうと思っているんです。」

河口さんといえばいくつもの個展を開催されてきた方なのに、担当学芸員の名前やエピソードがすらすらと出てくることに、正直なところ筆者としては驚きを感じつつ、学芸員を目指す学生の一人として感銘を受けていたのですが、お話の中から関わった相手に対するリスペクト、感謝が伝わってきました。

そんな「感謝」を伝える手段は河口さんにとってはやはり作品を作ること。という思いの中で制作された作品が展示されています⇓

(左)《9粒のひまわり》1999年
(右)《見えないものと見えるものへの招待》2008年

左の作品では1999年「河口龍夫―関係・京都」(京都市美術館)、右の作品では2007年「河口龍夫 見えないものと見えるもの」(兵庫県立美術館・名古屋市美術館同時開催)の招待券がそれぞれ封印されています。

右側、《見えないものと見えるものへの招待》に入れられたひまわりの種は、当時名古屋の会場で用意された4.5tの種(?!)の一部だそう。

河口さんのお話しぶりは時に冗談を挟みながらいつもあたたかく、ご自身の感覚=ここでは「感謝」を、表現という仕事の手段を通して伝える、という誠実な姿勢が一貫しているように感じました。
改めて作品を見てみると、ある出来事に際してそこにあった人やモノとの関係性が、その出来事に関わらなくなると真っ先に忘れていってしまうという儚さを、蜜蝋の中にギュッと閉じ込めて大切に守っているような印象を受けました🎁

おわりに

今思えば、エフェメラを作品にしたとも言える、京都アンデパンダン展出品作品に付けられたタイトルは《関係》。
期間の限られたイベントには、青春時代を過ごすクラスメイトのような一期一会の関係性があります。お話を伺っていく中で、河口さんの作品にはそんな、その時・その場・それぞれにおける人やモノの関わり合いの感覚、手触りを呼び戻す目印のような表現が詰め込まれているような気がしました。

また、そこには一貫して人・モノへの感謝が込められていることも伝わってきました。「エフェメラ」という言葉が追い付いてきた河口さんの作品が、この後どのように変化していくのか、これからも注目していきたいところです👀

トークの全容は、KeMCoのYouTubeチャンネルでアーカイヴ公開をしています!ぜひ、ご覧ください。



KeMCo企画展「エフェメラ:印刷物と表現」

日付|2024年3月18日(月)~5月10日(金) 11:00–18:00 土日祝休館
特別開館|3月30日(土)、4月20日(土)
臨時休館|4月1日(月)、4月30日(火)~5月2日(木)
場所|慶應義塾ミュージアム・コモンズ(三田キャンパス東別館)    
入場|どなたでもご覧いただけます・無料
主催|慶應義塾ミュージアム・コモンズ、
特定⾮営利活動法⼈ Japan Cultural Research Institute
協力|慶應義塾大学アート・センター
出品協力|東京国立近代美術館アートライブラリ

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文責 KeMiCo Honoka

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