ネットがない時代の土地管理!?第6回「オブジェクト・リーディング•リーディング: 精読八景」
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
いよいよ「オブジェクト・リーディング•リーディング: 精読八景」シリーズのnote更新も後半にさしかかって参りました。
ポーの遺髪、福澤諭吉流嘆願書などなど…。
さまざまなオブジェクトを紹介して参りましたが、今回は慶應義塾文学部古文書室の「領知目録」をご紹介します!
・「領知目録」とは…?
「領知目録」とは、現代のようにオンラインで地図を確認することができなかった時代において、所領の範囲を証明するために、発給された地名の一覧のことです✨
現代では全国地方公共団体コードと呼ばれるものでコード標準化されているようですが、江戸時代は全て手書きで記録されていたのです。
同じく古文書室から出展されている「朱印状」もまた、領地を証明するための文書ですが、「領地目録」にはより詳細な情報が記載されていたようです✏️
「朱印状」には領地の国・郡までしか記されませんでしたが、「領地目録」には村名までが記されました。
どちらも、藩の所領の根拠となる文書なので、大切に保管されたそうです。
オンラインでデータを管理できなかった時代、文書は現在よりも非常に重要な意味があったのです。
・領地目録と朱印状は誰が誰に書いたものなのか
「朱印状」の発給をする権限があったのは将軍だけでした。
そのためこの「朱印状」は、書かれた年代から8代将軍徳川吉宗が発給したものであるとわかります。
本展覧会に出品されている「朱印状」と「領知目録」は、豊後国岡藩(現在の大分県竹田市一帯)の藩主であった中川家に伝来するものなのだそうです。
中川氏は関ヶ原の戦いで東軍につき、一度も領地替えすることなく、明治時代の廃藩置県まで岡藩を統治しました。
中川家の岡藩は、キリスト教に寛容であったことで知られています。
また、江戸時代後期には著名な文人画家田能村竹田を輩出しています!🎨
この目録のどこかに、田能村竹田の生まれた村が書かれているかもしれませんね。
KeMCoのセンチュリー赤尾コレクションには、田能村竹田の山水図屏風が所蔵されています。
山水図屏風は、Keio Object Hubからご確認いただけます👀!
・消しゴムがない時代、書き間違えたら…?
それにしても、地名全てを書き出していくなんて、想像するだけでも大変な作業ですよね…!
「領知目録」のような公式の文書は、一瞬気を抜いて書き損じてしまったら、初めから書き直さないといけないのです。
書き損じといえば、嵯峨天皇・橘逸勢と並ぶ書の名手、空海に有名な逸話が残っています。
『今昔物語集 (巻十一の九話)』によると、空海は京にある應天門の額を書くよう依頼された際、謝って「應」という漢字の点を一つ書き忘れてしまったというのです。
額が門に掲げられてからそのことに気づいた空海は、筆を投げてアクロバットに点を追加し、観衆を驚かせたといいます。
この場合は点の書き忘れであったために修正可能でしたが、もしも空海が点を多く書いてしまっていたら、このような修正は不可能だったかもしれませんね💭
・古文書室から出展されるもう一つの作品は?
古文書室からは、「領知目録」のほかに「石城日記」も出展される予定です。
「領知目録」は、いわゆるオフィシャルでお堅い文書ですが、「石城日記」は、下級武士尾崎石城が自身の日常を絵も交えつつ綴った「ゆるい」日記です。
絵が得意だった石城は副業として絵を描き、料亭での友人との飲食代を稼ぐこともあったとのことです。
「領知目録」と「石城日記」。
かっちりとした公の記録と、ゆるいプライベートの記録。
どちらも江戸時代の人々の等身大の生活を垣間見ることができる資料であるといえますね。
オブジェクトを通じて、目の前の資料から当時の人々の日常を想起する楽しさを体感していただけましたらと思います。
(文責 : 学芸スタッフKeMiCo KOYURI)
「オブジェクト・リーディング : 精読八景」展
会期は8月16日から9月17日
開館時間 11:00から18:00(土・日・祝日休館)です。
ご予約はこちらから
※入場には事前予約が必要です。